この一本吸ったら寝るか。

 

 そう思って、煙草に火をつけた。

 百円ライターをテーブルに戻して一口を深く吸い込んだ瞬間に携帯が鳴りだした。

 手を伸ばして引き寄せる。

 開いた画面に表示された名前は、武田一鉄。

「はいよ」

 煙を吐き出しながら電話に出ると、

『烏養くんですか こんばんは』

 ご丁寧に確認された。

 携帯にかけているのだから自分以外の誰かが出ることはないのにおかしな人だなと苦笑する。

「なんかあったか

『あ、いえ・・・』

 問いかけると気まずそうに口ごもる。

 

 数時間前、部活帰りにまた明日、と笑顔で別れた。

 たかが二三時間の間だが、バレー部に関する重大なことでも起こったのだろうか。

 

 小さな不安ではあったが、自然と眉根が寄る。

 携帯を握る手に力が入った。

「先生

『あの・・・すみません』

「何がだ 何があった

 ほんの少しの沈黙に不安を煽られて呼びかけると、何故だか謝られる。

 余計に不安になるだろうと勢い込んで問いかけるとぼそぼそとした声が届いた。

『その、声が・・・聞きたくなって』

 ただそれだけです、と武田は申し訳なさそうに付け足した。

「・・・」

 一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。

 だが言葉が脳に到達するやいなや、とてつもなく照れくさくなった。

「あ、アンタな・・・そんなんで死にそうな声出してんじゃねぇって」

『すみません・・・自分でもどうかと思ったんですけど』

「別に謝る必要はねぇけどよ」

 むしろそうやって思ってもらえることは、嬉しいというのは、女々しい気がして口に出すことはできないのだが。

 むっつりと押し黙った烏養に何を思ったのか、少し焦った声で武田は言う。

『その・・・変なのはわかってるんです。少し前まで一緒にいて、話もして、また明日になれば会えるのがわかっていて。でも、それなのにどうしても堪えられなくて・・・本当にごめんなさい』

 何度目か知れない謝り文句に、がりがり後頭部を掻く。

 謝らせているのは自分のせいだ。

 恥ずかしがってもいられないだろう、と煙草を灰皿に置く。

「謝んなくていーって。・・・その、」

『はい

「・・・ちょうど寝ようとしててさ」

『あ、それはすみません・・・ あの、もう僕・・・っ』

「あー違う ちょっと待てって」

 謝る必要はないと言うつもりが、余計に謝らせてしまった。

 何をやってるんだ俺は、と今にも電話を切ってしまいそうな武田を慌てて遮る。

「煙草吸って寝ようかってしてたから・・・寝る前に先生の声聞けて、よかったって言おうと思ったんだよ」

『あ・・・え、あ、はい・・・お役にたてて・・・よかったです』

 戸惑ったような声が聞こえた。

 今どんな顔をしているのだろう。

 そう思うと、少し悔しいような気もした。

 

 顔を見ていないから、言えることもある。

 会えない時だって繋がれる。

 それは決して悪いことじゃないし、それが必要だって思うこともある。

 

 でも、抱き締めたい時には電波の距離の分だけ恨めしい。

 

『じゃあ・・・もう切りますね』

「おう」

『おやすみなさい』

「おやすみ」

 

 烏養の返答を聞いてからも武田はすぐには電話を切らなかった。

 躊躇うような沈黙に耐えられなかったのは、烏養の気が短いせいではないはずだ。

 

「なんで切らないんだよ」

『っ、烏養くんこそ、どうして切ってくれないんですか』

「何かヤだろ」

『僕だっていやです』

「先生がかけてきたんだから先生が切るのが筋だろ」

『どうしてですか』

「どうしてって・・・」

『だって何だか淋しいじゃないですか。自分から切るのって』

「つーつー言ってんの聞く方が淋しくねぇか

『僕はそっちの方がいいです』

「・・・そういうもんか

『ほかの人は知りませんけど、僕はそうですよ』

 

 そうか、そんなもんなのか。

 声が聞きたいとかけてきたのだからそんなもの淋しい音は聞きたくないだろうと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 

「じゃあ・・・切るぞ

『烏養くんは優しいですね』

「ばっ・・・じゃあな」

『はい、おやすみなさい』

 

 くすくす笑う声に再度の挨拶を投げられて烏養は小さく「おう」と返して終話ボタンを押した。

 通話時間が表示された携帯をしばし眺めて、閉じる。

 

「ったく・・・」

 

 会って抱き締めたくて、落ち着かなくなった。

 灰皿に置いたままの煙草はすっかりと灰になっていて小さな残り火が燻っている。

 フィルターだけの煙草を灰皿に強く押し付けてから新しい煙草を取り出した。

 

 この煙草を吸ったら、今度こそ寝よう。



 そう思い決めながら、眠れる気がしねぇけどな、と。

 烏養はため息交じりの煙を吐き出した。

 

 

 

20150202