カワイクナイ人 赤兎
「ところで、ひとつ気になることがある」
ずいっと顔を寄せられ、近すぎる距離に体が後ろに逃げた。
「失礼な態度だな!」
「どうもすみません」
「棒読み!」
ある程度の距離を取って謝罪を口にすると叱られた。
どうしろ、というのだろう。
うっかり近付き過ぎるとさわってしまいたくなる。
だから避けたというのに、この人は自分に迫っている危機を理解していない。
少し困って赤葦はそれで、と先を促す。
「何が気になるんですか?」
はっとしたように瞬きをして木兎は再び顔を近づけてくる。
(だから、近いんですって)
内心でぼやきつつも逃げかかる体を意思の力で押しとどめた。
同じやり取りをして拗ねられると困る。大変に困る。
「お前俺のこと押し倒したいの? それとも押し倒されたいの?」
真顔で何を聞くかと思えば。
「押し倒したい方ですかね」
内なる葛藤はいまだぐるぐるしているが、質問には即答した。
余計な隙間を与えると話が変な方向に転がるのはイヤというほど学習しているし、彼相手に欲情する自分を自覚してからはその思いは強くなる一方だったからだ。
「ぐあ、マジか!」
「・・・なんですか、それ」
マジかも何も、今までその件についてまともに考えたことないだろうに反応が大袈裟すぎる。
――いや、考えたことがないからこそ驚いているのか。
そう思い直したところへ、木兎がわなわな肩を震わせながら、
「お前、俺のことかわいいとか思ったりすんの?」
脈絡のない台詞を吐く。
「一体誰から何を吹き込まれたんですか」
抱く抱かれるとかわいいのイコールは、どこで結ばれたのだろう。
少なくとも彼本人が思いついたとは思えず、赤葦は疑問を素直にぶつけてみた。
「木葉が、ヤル方は相手のことを可愛いって思うんじゃねぇかって」
「・・・」
この人の周囲はロクでもないことばかりを吹き込んでくれる。
「そもそもにしてそういう話したことねぇな、と思ってさ」
頭が痛い。赤葦は指先でこめかみを揉んだ。
抱くも抱かれるも、ただ一方的に好きだと告げただけの状況で具体的な役割など話してなんになるだろう。
「お前、俺のことかわいいわけか・・・ビビるな」
自分の両肩を抱き寄せ恐れ戦く木兎に、生憎と、と赤葦は待ったをかけた。
「可愛いと思うことは・・・あんまりないので、一応思いません、と言っておきます」
「は?! お前俺のことかわいくねぇの?!」
「基本的には思いません」
「・・・何それ、俺愛されてなくないか?!」
ショックを受けた顔で仰け反る木兎に、赤葦は小首をかしげた。
「愛されたいんですか?」
てっきり受け入れることは不可能だろうなと思っていたのだが。
問い返すと何を当たり前のことをと胸を張られた。
それは知らなかったと驚きに僅か目を瞠ると、あ、でも。などと不穏な接続詞を呟く。
「ヤルとかヤラナイとかは、バレー部引退するまでオアズケだからな」
てっきりこちらががっかりするような台詞を言うものと思いこんで身構えていたせいで、反応が遅れてしまった。
「・・・え」
だってアンタ、好きですって言った俺に「おう」と笑って頷いただけだったじゃないですか。
はいともうんとも何も言わなかったし、それから今まで態度に何も変わりがなかったじゃないですか。
愛されたいとかやるとかやらないとかそんな話をするような関係ではないはずだ。
もしそうなら一体いつからそうだったのか詳しく説明してほしい。
っていうか、木葉さんの仕込みのドッキリとかだったりするんだろうか。
思考はめまぐるしく流れていく。
赤葦は十秒ほどの沈黙の後、胸を張り続ける木兎を見つめ、口を開いた。
「前言撤回します。可愛いと思うので、バレー部引退後によろしくお願いします」
「あ」
「今度は何ですか」
「俺のことカワイイとか思う赤葦は一回目医者に行った方がいいっつってたぞ」
「・・・」
本当にこの人の周囲の人たちはロクでもない。
――というか、この人本人が一番ロクでもない上に、タチが悪いのだけれども。
そんな人を好きになってしまったのだからしょうがないか。
20150121