カワイイ人 及岩
「わっかんねぇなぁ・・・」
昨日発売の月刊誌を小脇に抱えてきた及川が、見たい? などとにやけた顔で尋ねたのは部活が始まる前。
部活終わりに買いに走ったのだが、生憎近所では売り切れだった。
少し足を伸ばして隣町の大きな書店まで行くために今日は部活終わりにダッシュで帰る予定でいたのだ。
「見る!」
がばっと手を伸ばしたら、ひょいと避けられた。
すかった両手を震わせて及川を睨みつける。
「帰り、岩ちゃん家でご飯食べていーい?」
「・・・条件付きかよ・・・」
「ダメならしょうがないからコンビニご飯買って帰るよ」
「・・・」
つまり本日及川家には誰もいないらしい。
雑誌は読みたい。及川は一人きり。岩泉家には手作りの温かいご飯があって、及川は食事代を親からもらっているはずだ。色んなことが頭の中を駆け巡った。
岩泉は言った。
「ウチで飯食ってからお前ん家行く」
「何が分かんないの?」
畳の上でごろごろしながらのんびりと問い返される。
「お前のどこがかわいそうなんだか」
「ん? なに、何の話?」
腹筋を使って起き上がった及川が机の上に身を乗り出す。
近くなった顔をしげしげ見つめて岩泉は「三つ子の魂ってやつだな」と呟いた。
「じいちゃんがさー、お前一人でアレコレしてんの可哀想だっつってさ」
「ウチの親、昔っから忙しいからねェ」
「何かあっちゃお前が助けてやれとか、仲良くしてやれとか・・・アレのせいだよな、完全」
「はは。おじいちゃん俺に優しかったよねー」
けろりと笑う及川は、昔からこんな調子だ。
過保護とは言い難い両親だが、その点に関しては拗ねることもなく飄々と受け止めていたように思う。
だが祖父母の世代は親から構ってもらえないということが可哀想とイコールで結ばれているらしく、岩泉はよくよくせっつかれて及川を構いに行かされたものだ。
嫌だなァとか面倒だなァと思うこともあった。
だが、くり返されるうちに当たり前のように染みついてしまった。
例えば雑誌は買うから必要ない、と岩泉が言えば。
きっと及川はつまんないの、などと言いながら引き下がっただろう。
コンビニで弁当を買うなり、ファミレスで食事をするなりしたはずだ。
きっと、一人で。
岩泉家は毎食当たり前のように食事が用意されている。
母親がどこか遠方に出かける時でさえ作り置きがあって、温めればいいだけになっている。
泊まりの用事でもよほどの長期でなければ必ずそうだ。
及川もそのことはよく知っているから、突然岩泉を誘って外で食べるという提案はしない。
「あ・・・何か、わかったかもな」
つらつら考え込むうち、ふともやもやとした疑問の答えがぽかりと浮いてきた。
――交換条件でも持ち出さなければ、飯を食わせろとも言わない。
ごく自然な行動の裏側にある、及川の小さな遠慮。
それは岩泉の家に対しての気遣いの表れだ。
きっとその遠慮こそを、可哀想、と祖父は言ったのかもしれない。
そして自分はそれを、どこかで知っていたのかもしれない――。
「何がぁ?」
「んや・・・ま、謎は解けたっぽいから気にすんな」
「えー何それ、俺が気になるじゃん~」
がたがたと机を揺らす及川に、子供か、と頭をはたく。
たいして力も入れていなかったのに及川は大袈裟に「痛い!」と喚いた。
それでも知らん顔をしていると、むうっと唇を尖らせる。
「ね~はじめちゃ~ん」
「その呼び方やめろ!」
「え~、ね~。謎は全て解けたんでしょ?」
「だからッ、やめろって!」
「じっちゃんの名にかけて?」
「かけてねぇよ!」
「じゃあ、じっちゃんになりかけて?」
「なりかけてもねぇ!」
「ええ~・・・」
よりにもよって、それを持ち出すか。
小さな頃に流行っていた漫画のせいでからかわれて岩泉がどれだけ嫌な思いをしたか。
そのたびに暴れ回る岩泉をけしかけたり、時にはこっそり便乗したりしていた及川は全て知っている。
(このクソボケ及川・・・)
それでも、内心で呟くだけで岩泉は手も足も出さないままむすっと黙りこんでそっぽを向くだけだ。
岩泉の家には気遣っても、岩泉相手には遠慮も何もなく接してくる。
それが――特別っぽくて、ちょっとだけ。
本当に、ちょっとだけ。
嬉しいと、思ってしまうからだ。
「もー・・・ホント強情なんだからさぁ・・・」
頑として口を割る気はないと態度で示し続けていると、折れたのは及川の方だった。
「岩ちゃんだけだからね! 俺のお願い聞いてくれないの!」
「思い通りになんないことがあった方が燃えるだろ」
「どうしてそうオトコマエかな?! 岩ちゃんは!」
がたん、と机に手を突いて勢いよく立ち上がった及川は見上げる岩泉が何を問うよりも、
「お風呂入ってくる! 岩ちゃん泊まってくよね!」
そう言ってタオルと着替えを手に部屋を出て行ってしまった。
意気込んで風呂に行く理由がわかって、帰った方がいいかな、とちらりと考える。
どうせ明日が部活が休みだからと無茶をされるのに違いない。
――けどやっぱ、一人にすんのはなぁー・・・。
三つ子の魂なのか。
それともひっそりと飼い慣らされた淋しさに引き寄せられたせいなのか。
どちらにしても、結局自分がこの幼馴染を構いつけてしまうのはもうそれが当たり前の感情になってしまったからなんだろう、と岩泉は苦笑する。
原因をどこに見つけたって、何が理由だって、仮令どうしてなんてわからなくても。
及川のことが好きなのだ。
だったら潔く受け止めるしかない。
「さて・・・寝たフリでもしてみっかな」
少しも潔くない台詞を吐きながら、岩泉は明日ちゃんと読もう、と雑誌を閉じた。
20150205