午後一時。坂ノ下商店は来客もぱたりと途絶えて静まり返っている。
母親と交代で昼食を終えたのが十分前。
品物を棚に補充したり、冷蔵庫の中をチェックしたりなどすることはあるのだが、いかんせん眠い。
レジ前の椅子に座って煙草をふかしながらも欠伸が出る。
うっかり涙が滲むぐらい本気で欠伸をしてしまって、目尻のそれを拭いながら何気なく煙の向こうを見やってぎょっとなった。
「せ、先生?」
入口のガラス戸の向こう。自販機の陰からそうっと店の中を覗き込む眼鏡の彼は、最近ではもうすっかりと馴染んでしまった相手だ。
「お疲れ様です」
「客がいようが気にせず入って来いって。 別に悪いことしてるわけでもねーだろうし。」
まるでストーカーじみていたコーチ勧誘のあのころとは違うだろうと言いながら中へと招き入れると、彼は癖で、と後ろ頭を掻いた。
「この缶コーヒー2つください」
「なんだ、おつかいかよ。――240円」
示されたものをレジに打ちこむでなく値段を言った烏養に、武田はお釣りのない小銭を渡した。
差し出された缶を一つだけ受け取る。
「・・・うん?」
手の中に残された缶と武田とを交互に見やると、困ったような笑顔がどうぞ、とすすめてくる。
「畑にお店にコーチに。 烏養君にはお休みがないでしょう。 些少ながら、御礼です」
「はは、お礼ときたもんだ」
遠慮なく、とプルタブを起こし口をつける。
「それとお詫びです」
「詫び?」
眠気はまだ頭の奥にひっついていたが、含んだコーヒーの甘さと苦さがすうっと染み込んでくる。
「お休みがないせいで、彼女とデートも出来ないでしょうし。 ってゆうか、バレー部が烏養君を独占してますよね」
そのお詫びです。
武田は至極当たり前の顔をしている。
が、一体どこから彼女だのという発想が出てきたのだろう。
缶から口を離し、烏養はじろりと横目に武田を睨む。
「そりゃアンタ、ここ数年彼女のいない俺に対するいやみか」
「そんな、まさか」
「それとも何か、お袋に何か言われたりしたのか」
「え? は? いや、何も・・・」
というよりも会ったこともない。 めっそうもないとぶんぶん首を振る武田に余計な勘繰りだったか、と烏養は小さく息を漏らす。
結婚はさておき、彼女の一人くらい欲しいと思わないでもないがいかんせんここ最近の女っ気のなさの一因にそこをつつかれたくはない。
「畑と店と学校と、どこに出会いがあるんだ。 言ってみろ。それともアンタは出会いがあんのか」
「え、あー・・・いや」
歯切れの悪い返答にまさか、と前のめりになる。
「アンタいんのか?!」
「い、いませんよ!」
勢い込んで問いかけられ、仰け反りながらも必死に否定すると烏養はかくん、と肩から力を抜いた。
「あー・・・何かほっとした」
「僕はただ・・・その、烏養君ならいるんじゃないかなと思っただけで。 厭味だとかそんなつもりは」
「何でいるんじゃないかになるんだか・・・。 どう考えたってモテねぇだろ、俺」
「そんなことはないですよ」
「つか、アンタ前も何か似たようなこと言ってたよなぁ。 ドラマみたいなのがどうこうって」
ドラマみたいな恋愛なぞした覚えはない。
あんな夢物語は所詮作り物だろうとは思うのだが、それにしたってカッコいい台詞の一つや二つは言ってみたいような気もする。
だがそれも相手がいればこそで。
相手になりそうもない人にほんのり好意を抱いてドキドキするのが精一杯です、なんてのは口が裂けても言えない。
今の自分に出来ることと言えば、青春まっしぐらの部員たちに混じってその感情の一端に触れて、共有することぐらいだ。
「烏養君はモテると思いますよ。 ・・・ただ、気が付かないだけで」
「あ? 俺がスルーしてるって言いたいのか?」
ぽつんと呟かれて、目線だけを返すと武田は何故かまだ困った笑顔のままだ。
「いいえ。きっと皆、気が付いてないんですよ。 烏養君のよさに」
「・・・つまり何だ、慰められてるわけか? 俺は?」
「違いますよ」
まるっきり間違いをたしなめる先生みたいな顔をして、武田は未開封の缶を小さく掲げる。
「じゃあ僕は学校に戻りますね」
「あ・・・ああ」
はぐらかされたような気がして、つい間抜けな顔を晒してしまった。
それに武田はからかうような眼で笑って、踵を返す。
「また後で」
「おう」
本当にジュースを奢るためだけに寄ったのだろうか。
去ってゆく背中をぼうっと見送りながら、烏養は何だかな、と無意識に缶の口を噛む。

この曖昧な感覚が、はっきりとした形を持ってしまったら――。
自分たちは、どうなってしまうんだろうな。

漠然とした予感が脳裏を掠める。
けれど。
やはりそれには気が付かないフリをして、開いた扉を丁寧に閉めた。




「誰も気が付かなくていいってことですよ」
手の中の缶を握り締めて武田がそう小さく呟くのを、だから誰も聞き咎めはしない。